MESSAGE

代表挨拶・経営理念

経営ミッション

MANAGEMENT MISSION

経営ミッション

出会い、繋がり、ご縁を大切に
繋がった方々の幸せ笑顔を作る

住宅部ミッション

HOUSING MISSION

住宅部ミッション

家づくりを通して
家族の笑顔を深める

理念

PHILOSOPHY

理念

素直にお客様と向き合い、
前向きにお客様と接し、
常に勉強して良いご提案をする

たくさんの幸せを頭に思い浮べて行動する

代表取締役 原侑也

はじめまして!絆ハウス KIZNA(竹ヤ装建) 代表の原です。

ホームページをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

私には過去の経験から「ゆずれない想い」があり今現在家づくりのお仕事をさせて頂いております。家づくりへの想い
家づくりを通して家族の笑顔と絆を深める
建物への想い「家族の命を守れる強い家」そして「住み続けられる家」を建築することです。
この想いが強固になったのは、「職人時代に経験したある出来事」がきっかけでした。
昭和40年に創業し祖父から受け継いだ大切な会社
創業当時は、内装工事がメイン、クロス(壁紙)工事や、インテリアカーテン、カーペットなど店舗から戸建まで、そしてテント工事や船の内装工事も行う会社でした。

社内に職人もかかえ、様々な工事を行っていました。
私が10歳になった頃から「ずっと後継ぎになれ」(後から聞いた話では産まれた時から)後継ぎはお前だと言われ続け、なんとなくその気になっていた私がいました。

実は祖父には息子がいなく、後継者がいなかったんですね。

昭和40年に創業し祖父から受け継いだ大切な会社

当時、私の会社への印象は遊びに行くと怖い顔をした祖父と会社の人達(中には優しいおじさんが居て、行くとお小遣いをくれます)が子供の私としてはあまり印象が良くなかった思い出があります。でも会社に遊びにいくと祖母に会えるのでそれが嬉しくて行っていましたね。
そんな中、後継ぎになれなど言われ続け月日が経ちました。
高校へ進学する時も具体的に跡継ぎの話は煮詰まっていないものの当時から言われ続けた会社の事が頭によぎります。進学先は建築科の高校を選びました。

ずっと頑張ってきた陸上も高校時代に終止符を打ちました。

そしてその後は職人時代を過ごすわけですがその時のある事が

きっかけで家づくりに対する想いが強固になりました。

そのある事とは‥
「職人時代に経験したある出来事」
ある日、私の先輩が新築を建てました。その先輩はいつも「マイホームはいいぞ!」

と話してくれます。

この時点でいつかは祖父の会社へと思いが固まってきていたので、

こんなに喜んでいる方たちのお手伝いをいつかはできるんだ!

と内心わくわくしていました。
私自身、昔からそうですが、人の喜ぶ顔や話を聞くのが大好きなのでとても意識が向上した時でもありました。ただある日を境にイメージが激変しました。
現場へ向かう前の朝礼後いつも元気な先輩の顔を見ると、とても調子が悪そうな顔をしていました。私は先輩に「どうしたんですか?休んだほうがいいんじゃないですか?」と言うと。「いや大丈夫現場へいくぞ」と先輩は言います。

でも明らかに現場へ行ける状態ではなさそう‥
後から聞いた話でなぜそこまでして(無理してまで)現場に行ったのか理由がわかりました。

答えは「家のローンの為」だったんです。職人は日当で仕事をする場合が多く1日休むと給料が減ってしまいます。1日分の日当がなくなると生活が苦しくなると言っていました。
なぜ生活が苦しくなるかというと、ギリギリ返済できる多額の住宅ローンを組んだからです。

あんなに「マイホームはいいぞ!」と嬉しそうに言っていた先輩が家のために、

また家族のために、こんなに大変な時にまで体を休められないなんて‥

家を建てたら幸せになれるはずなのに

逆に生活を苦しめていない?私の中でとても違和感を感じました。
私のわくわくが不安に変わり当時の祖父に事情を話しました。
この時「家を建てたあとの苦しみ‥」が大きな気づきとなり、家族の幸せ、笑顔、絆を作るためには、家を建てるのが目標じゃない。家を建てた後の生活が幸せになる。
だから「資金計画」や「住宅ローンの組み方」がとっても大事な事を!
家を建てるのが目標じゃないことを!「もっと多くの方に伝えたい!」

建てる事より建てた後の方が大事!それを伝えていくのが私たちの役目だと確信しました。
家づくりを通して家族の笑顔と絆を深める」

この、私の絶対にゆずれない想いの原点がここにあります。

昭和40年に創業し祖父から受け継いだ大切な会社

建物に対する想い

また少し話はさかのぼりますが、建物に対する想いも私の過去の経験で強固になりました。

過去の私は‥新築=安心で安全(地震や台風が来ても)と思っていました。
だから当時の私は新築さえ建てれば家族の安心や安全も買えるものだと思っていました。

しかし、2011.3.11を境にそうでは無いことを思い知ります。2016.4.16の熊本地震でも、地震で倒壊した建物の中に新築があった事に驚きました。
当時の私は新築を建てれば安心・安全に住めるものだと思いこんでいましたがそうではないのか?なぜ?疑問がたくさん頭をよぎりました‥

まずは仕事をしながらですが必死に国家資格を取得しました。
そして当時あまり主流ではなかった「耐震等級」という言葉に出会いました。
耐震についても詳しく調べ、勉強しました。そこで過去のデータを元にわかってきたことが
立地条件を除き、大きな地震がきても倒壊せず家族の命を守った家の大半が「構造計算」された耐震等級3の認定を受けた建物でした。

昭和40年に創業し祖父から受け継いだ大切な会社

熊本地震では今まで稀にみる3日間で震度6弱以上の地震が7回もきました。

大きな地震に1度耐えるだけではいけない。

だから私の建物に対する想いは「家族の命を守れる強い家」です。

昭和40年に創業し祖父から受け継いだ大切な会社

2024.1.1 能登半島地震(石川)
現地視察時にて

また先日の能登半島地震の際にも改めて実感しましたが、予想ができないほどの自然災害が増えているということです。
私自身がもっとより深く地震についての知識を深めるべく、能登半島地震の現地調査に伺った際に建物は家族の命を守るだけではなく、またその家に住み続ける事ができるかどうかが肝になる。そう確信しあました。震災後に危険ラベルが貼られたお家に帰宅する方を目の当たりにした時、言葉になりませんでした。いつれてもおかしくない状況の建物。余震が来たらと考えると…その方の思いを考えると怖くて仕方ありません。住む場所がなくなる苦しさ、被災者の生の状況を目の当たりにし、より一層、地震に対する考えの重要度が増しまた。「家族の命を守る強い家」は当たり前。その先「住み続けられる家」が最も重要と再認識しこの私の思いをより多くの方に伝えたい。そう思っています。

いくら高性能で、デザインが良い家でも地震に耐えれなければ意味がありません。

これからいつ起こってもおかしくない大地震に備えた家を提供したい。
我が社は全棟「構造計算」を行い全棟「耐震等級3」の認定取得をしています。
また更なる安心をと「制震ダンパー」を全棟標準採用しました。

耐震とは(地震に耐える)制震とは(地震を抑制する)この両方を兼ね備えて

家族の命を守れる強い家」そして「住み続けられる家」をご提供する事に決めました。

昭和40年に創業し祖父から受け継いだ大切な会社

【絆ハウス】という名前はこのような想いで付けられました。

先代の想い、私の想い、これからも、この先もずっと
家族の強い絆がすべての原点になり、自然に家族のコミュニケーションがとれる空間を提供し、今の不安定な社会の背景にもあると言われているコミュニケーション不足の改善にも貢献したい。そして家族の絆が深まる家づくりを目指す
こんな想いで名づけられました。

我が社の使命は「絆」を守る事、それが絆ハウスです。

絆ハウスはこれからも家族の幸せ、笑顔、絆を育むお手伝いをします。

お読み頂きありがとうございました。どうか絆ハウスを宜しくお願い致します。

代表取締役 原侑也

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