我慢していた。今だから言います・・・・

我社が20年前に増改築や新築に進出した理由。

私は50年前に建築屋の下請けで内装業として創業しましたが、経済成長
と共に現場で重要な前の工程で悪い事が発生するようになって来ました。
勿論、全ての元請業者とは言いませんが、其の悪い事とは早く言えば、手抜き工事です。

物作りの基本は一つ一つの工程で確かな工事をしてこそ結果、良い物が出来上がる。

誰でも分かる事ですが其れが出来なかったようです。

ある建築屋から私が干された一例ですが、現場に入ったら前の工程の仕事に問題が有ったので、
監督に理由を説明したら、 「なんとかうまくやってくれ」と言われましたが、「建物の為に悪いので仕上げる前なら簡単に修正出来るから」と再度お願いしたところ
「他の業者は文句を言わずやっていくのに竹ヤはウルサイ」と罵声でした。
この様な業者がバブルと共に増えていました。要するにお客様の方を視ていない私は貧乏人の次男でしたので自分の家を持つのが小さい時からの夢でした。其の夢を粗末にされた様で悔しさを感じたのと共に、お客様の工事で無く、業者の為の工事に見えました。

よし「前の工程の重要性が一番と考える我々がやるべき」と決意しました。

長年の経験を生かし勉強もしました。又自分の建物も十棟ほど建て経験を積み重ねた後、増改築や新築事業に進出した訳です。

以上の信念だけは絶対変えたくありません。
同業者の反感が気になり今まで言えませんでした。本音が言え、すっきりしました。

今後も業界のタブーを公開していきます
若さの勢いで独立はしたけれど

若さの勢いで独立はしたものの、気が付けば資金なし、得意先なし、あるのはやる気と体だけ。
実家を拠点として兄に七万円借りて単車を購入し活動の足とした。
次に仕入れ先との話をつけ、そこまでは出来たものの肝心な受注が無い、ここから重苦しい日々が始まった。

頭の中ではセールスをして注文を取ればよいと解っていたが営業の経験は全く無し、
訪問営業など想像しただけで足がすくんでしまう、そのような自問自答が約二ケ月ほど続きました。

なんとか自分を奮い立たせ、訪問営業を開始したがうまくいきません。

当時ガソリンは47円でした。燃料費が加算するに追われ、やけくそ半分の無我夢中、
体当たり営業が始まりました。その無我夢中が幸いとなり少しずつ注文がとれるようになりました。

独立後、初回の受注ができ帰りの夜道を単車で走りながらの感動の涙が今でも鮮明に記憶に残っています。

その波に乗り昼間は施工、夜は営業に飛び回りました。

少し有頂天になってしまい、かなり強引な売り込みもしてしまいました。
今の時代でしたら問題となったかもしれません。

でもそのような経験が教訓となり、本当にお客様にいい勉強をさせていただきました。

一例ですが一日で数軒の受注が取れましたが、帰宅すると全てキャンセルの電話が入っていたこともあります。

このような繰り返しで頭を叩かれながら、良き勉強をさせていただき一年後、兄に七万円の返済が出来ました。

今の仕事をしたキッカケと動機


私が九歳の時父が胃癌で入院、医者の予告通り一年後、家族と借金を残し父は帰らぬ人となりました。

そこから経済苦が始まり本当に地獄でした。それからは出来るアルバイトは全てやりながら毎日のように大人に成ったら商売をしたい。
学歴なし、貧乏育ち。見返したい。

同級生で№1に成りたい。出世したい。母を喜ばせたい。妹達を幸せにしたい。の思いが執念と成っていた。

仕事のキッカケは中学卒業寸前に急性腹膜炎で緊急入院、危篤から一命を取り止めたもののその後再発、
療養中といえども、母や兄に甘えたくなかったのでとりあえず、食べる、寝る事の出来る職場なら、どんな仕事でも良いと思い、
今の仕事に関連のある職場に腰掛のつもりで入った。

本気でやりたい仕事を考えました。ブラジル移民、バスの運転手等々、数え切れないその職場で数年が過ぎた頃、
内装屋とか言う職種が耳に入り、何か心働くのを感じ、腹が決まり現職場を数ヶ月後やめ、
内装業を手探りでスタートしたのが二十歳でした。

大恩人、大師匠の旅立ち

平成18年9月3日午前9時に私の母が霊山にと旅立ちました。享年八十九歳でした。
約二ヶ月間の療養生活でしたが私達兄弟で思う存分の看護が出来た事は本当に幸せでした。

普段は其れほどでも有りませんでしたが、直面すると子供の頃が強烈によみがえり、
自分より母の命が大切と本能的に爆発するものです。 

それと言うのも母が三十六歳の時に、子供四人と祖母、
おまけに借金まで残したうえ父は他界。
待っていたのは地獄でした。
          

其れにも負けず母は乗り越えて下さいました。本当に苦しい事ばかりでした。
でも母は愚痴など一切言わず働き続けて下さいました。

其のお蔭で私も何時も苦しい時、大変な時、何時も自分に言い聞かせていました。
「女性である母があれだけの事が出来るのに男である自分に出来ない事は絶対に無い」母の生き様が私にとって偉大な財産となり、今日まで来れました。

とは言え、普段はなかなか言葉では言えずじまいでしたが、亡くなる四日前にやっと言えました。
「苦しい時の事、又他人にも言えなかった事は全て夢を観ていたのだから夢は全て忘れて、好い思い出だけ抱いて眠って下さい」
母は目に涙を浮かべて微笑ながら、その後すぐ挑戦する課題を私にくれました。母は偉大です。

『絆ハウス』商号の由来

母の強い信念と愛情が私たち兄弟、家族の強い絆と成り多難な山も谷も越える事が出来ました。
家族の強い絆が全ての原点と信じています。特に幼少の時には重要な栄養素と信じて止みません。

その子の一生の是非まで左右すると思っています。
特に今の世相が物語っていると強く感じ、私達が仕事を通して、何かお役立ちが出来れば、
との思いで『絆 ハウス』と命名いたしました。日々暮らす家が絆を育む所です。

先ず健康、そして自然体で家族の会話がハズム場を、暮らしの中で重要視した間取り等の工夫が必要と思っています。
その様なことがアドバイス出来たら光栄の極みです。

守りあう・助けあう・教えあう・そして常に話し合う、積み重ねが強い絆と成るでしょう。

家族の絆を深め幸せになるための家造りへの決意!

私達の仕事は、ズバリ家を造ることです。しかし、ただの家を造る訳ではありません。
お客様の夢がいっぱい詰まったマイホームを造ることです。家造りをするうえで、我々に何が出来るか。

それは「安心・安全・健康に住むことが出来て、家族の絆が育め仲良く暮らせる家」を提供する事です。
そこで当社では、子育て世代に適正価格 『健康増進住宅』シリーズをつくりました。

無駄な費用は一切かけずに高品質で満足のいく、安心・快適で住み人の健康に配慮した住まいをお客様に、ご提供させて頂きます。

お客様に見えない所も満足して頂けるように、総檜柱で土台も檜の無垢材を使用し、4寸角という頑丈な太さのものを使用しています。

なお床下の坊蟻処理は有害な薬剤は一切使用せず、液状活性触媒炭を塗布し住む人の健康に配慮いたしました。


そしてもう一つ!私達がやっている家造りは、住む人を幸せにする事が出来る『家族の絆を育む家造り』をモットーにこれからも、よりよい家造りの為にたくさんの方々のご協力のもと、更なるコストダウンへの努力と研究を重ねていきます。
何より未来を担う子供たちが、健やかに育つ住まいづくりに貢献させて頂くべく、『子育て世代支援住宅』を推進して参ります。
『家族の絆を育む家造り』に少しでも共感していただけたなら幸いです。

経営理念        物の時代から の時代へ 

①「すべては、お客様のために。」

自分たちの給料は、お客様から頂いている事を深く認識し、自分たちの職務、行動、言動すべてがお客様のためになる様自ら発想し、努めなければならない。

②「お客様のために、自らを反省し、発想・行動せよ。」

お客様のためにならない、すべての事柄に対して、各自がまず自らを反省し、自分に出来得る事を発想し、妥協なく行動する。それが我が社が、お客様のために存在し得る、唯一の道である。

③「お客様のために、サービス業に徹する。」

我が社が、お客様の為に必要かどうかは、お客様が決めることである。
すべてをお客様の視点で考え、お客様の求める商品・サービス・人間・会社でなければ、我が社の存続、 繁栄はありえない。我々の仕事は、お客様に満足をお売りする「サービス業」である事を肝に銘じ、お客様のために、発想・行動し続けねばならない。

       ~ ご縁に感謝 ~

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